WTFに幸せを重ねていく

前回の記事が「映画一本撮ろう」リリースの時で、そこからあっという間に5ヶ月が経ってしまった。今日は10月7日です。早いなぁ。

今年の5月の連休中、Penomeco名義の新曲リリースに合わせて、Penomecoについて論文のような長さの記事を書きました。

その後新曲が出たり客演仕事が続いたりラップメイキングのお仕事があったりして、Penomeco、めちゃくちゃ仕事をしている…まだ五ヶ月前に書いた記事なのに、加筆しなくてはならないリリースがたくさんあるよ…すごい…。

そしてあの記事を書いた時はまさか8月にFANXYCHILD*1単独コンサートが開催されるとは夢にも思っていなかったわけで…。初日冒頭、一人で登場しラップしながら花道を闊歩してDJブースにつくmillic(あのブロック、”進撃のみりく”と私は呼んでいる)からはじまり、ビートの音数が減っていくと同時に徐々に現れるPARADISEのあの音。それに続くそれぞれの曲はどれも珠玉のアレンジがされていて、ステージ演出も抜群で、本当に本当にスペシャルだった。文字通り我々は”PARADISE”に来てしまったんや…となったんだよな。やばい、この時のまとまった記録、Twitterに書き散らかしただけで全然できてない…

 

それはさておき…Penomecoの曲の中でも私にとってとりわけ意味深い曲が「WTF」なんですが。この曲から私が受け取ってきた多幸感、特に今年はその質の変化が著しくて言葉にならないのです。この記事はそれを書き留めておくための、私のための超個人的なメモ。

 

私が知る限り、WTFには3つのバージョンが存在します。一つ目が2017年にリリースされた原曲、そして二つ目が2018年にbreakersで初披露したピアノ一本から始まるアレンジ、そして三つ目が2019年にFANXYCHILDのコンサートで披露されたアレンジ。今のところ一年に一つアレンジが増えてるんだな。

 

まず最初は、2017年にリリースされた原曲。これです。

原曲を初めて聞いた時に感じた多幸感を私はこう表現していた。

アルバムのアートワークも手伝ってか、私が水中で感じる、多幸感によるきらめきみたいなのと同じもの、を感じたんだよな…浅瀬の水の中で仰向けになってコポコポとお日様を眺めてるような…。聞く人を選びそうな癖のある声なのに上手に”楽器”として活かしていて耳触りも良いし、前述の類のきらめきを曲に感じたのは初めてだったので、「Penomeco」はこの感じ、というインプットがされた瞬間でもあった。多分この曲を聴いてなかったら「Penomeco」って名前は覚えていないだろうな…。

他の人はどうか知らないけど、私にとっては「水の中」って幸せな場所の象徴であり、このキーワードを彷彿とさせるものに対しては思い入れが格段に強くなるのです。Penomecoの曲を聞いてこの感覚が生まれたことそのものが、PenomecoとPenomecoの音楽への関心度を一段上に押し上げた。

水の中ってさ、自分が吐く泡の音と水流以外はぼんやりとしか聞こえない場所なので、めちゃくちゃ穏やかなの*2。そこから見るお日様、光が屈折して地上よりもきらめき増し増しだし、感じる幸せの純度とか濃度が違うんだよなぁ。それを耳で聞く音楽から感じる日が来ると思わなかった。これが今年に入る前に起きていた一度目の確変。

 

次に2018年のbreakersアレンジ。これです。

このアレンジとこれ以降2018年のPenomeco、それとこのアレンジが今年4月のPenomeco単独コンサートの最後の曲に使われたことについては過去の記事にがっちり書いたので再掲載。

WTFについては先にも書いた通り、私にとってもこれがなければPenomecoを覚えていないだろうっていう位置付けの曲なんだけど、Penomecoにとってもとても大事な曲のようで。2018年に放送された「breakers」という番組では「ファイナル用に準備しているステージが一番見てほしい曲」と言っていたんだよな。文字通りファイナルステージでこの曲が披露され彼は優勝するのだけど、皮肉にもその後スランプに突入していくという。

実はこの時のステージアレンジと全く同じ曲が、今年4月の単独ライブの最後を飾る曲として使われていたのだけど、ライブを見た当時はシンプルにピアノ一本で始まるアレンジすごく良い、で終わっていたんですよね…breakersまだ見てなかったので。なので、単独ライブ後にあのアレンジがこの時のアレンジであると知って「アーーーーーーーーーTTTT」となった。スランプを乗り越え苦労してミニアルバムを完成させた1年間を総括するような2度目の単独ライブのあの位置に、何ならスラップのきっかけになった番組のファイナルで使った曲を、当時のアレンジのまま持ってきたことの意味や理由を推し量ってしまい、すごくこみ上げるものがあったんだよな。そんなWTF、breakersでの曲紹介の字幕には「20代で最も幸せだった時の感情を込めた曲」と。もうね、泣いちゃうこんなの。彼にとって大事な曲であることを知るには十分すぎる体験だったなぁ。

スランプを乗り越えてリリースされた「GARDEN」の後の単独コンサートで、結果的に”一つのフェーズの始まりになった曲のそこで使われていたアレンジ”を最後に持ってきて締める、ということはさ、一つの孤独を乗り越えたってことでもあると思うんですよね。「あぁ、全部昇華したんだなぁ」と思った。同時に「もう大丈夫」って言われているようにも聞こえて、私は時差でめちゃくちゃ泣いた。これが2度目の確変。単独コンサートはめちゃくちゃ楽しかったのは言わずもがな、である。

 

そして3つ目のアレンジ。2019年のFANXYCHILD’Y’コンサートで披露されたこれ。

https://www.instagram.com/tv/B1ZAUUwAOSn/?igshid=1k0kxt1ky2o9h

初めて聞いた当時も今も多幸感を象徴する曲だなと思っているのだけど、このアレンジから伝わる多幸感がちょっととんでもなかった。

原曲やbreakersアレンジについて書いた文章に出てくる通り、この二つのアレンジから私が受け取った多幸感、私の頭の中ではいつも登場人物が一人だったんですよね。「水の中は穏やかで幸せだ」と書いたけど水中は基本的に孤独だし、「breakers後のスランプでの孤独感を昇華して大丈夫と言われているよう」と書いたけど、多幸感の背景には孤独ってキーワードが存在していてさ。でもこの時のアレンジを聞いて受け取った多幸感って言葉の中に「孤独」を彷彿とさせる単語が全く出てこなかった。天気の良い日の海の水面にキラキラと反射している日差しのような…なんだろうこれは?!ってなったんだよな。

 

ちょっと話が逸れるんですけど、この”なんだろうこれは?!”を考えるにあたって、あの曲が「20代で最も幸せだった時の感情を込めた曲」である所以ってなんだ?なんで歌詞にラスベガスが出てくるんだ?って事を改めてちゃんと調べたの。そしたら大事なエピソードが出てきた。この曲、ジコと一緒にラスベガス旅行に行った時の話が歌詞に盛り込んであった。この曲から感じる多幸感の正体になんだかすごく合点がいってしまった。

友達も言っていたのだけど、WTFが入ったFilmがリリースされたのは2017年3月…ってことは制作してたのはおそらく2016年から2017年の始めということになる。しんどかった時期を抜けて、音楽ができていることを噛み締めていただろう時にさ、活動再開をずっと待っていて背中を押してくれた大事な友人とさ、一緒に行ったんだよ、ラスベガス旅行に。「音楽をまたやれて、しかもこんな風に一緒に旅行に来てるなんてさ…こんな日はこないと思ってた、夢じゃないんだよな」みたいな話もしただろうよ…*3。その話が盛り込まれたこの曲が、Penomecoにとってどれだけ大事な曲なのかはもう、言われなくてもわかる。本当に「夢みたい」だったんだろうなぁ。音楽をやれている事の喜びにかえってこれる曲なんだよな、きっと。

原曲から私が感じた多幸感の正体はまさにこの「音楽をやれていることの喜び」だった。外的起因で断たれていたやりたかったことをまたやれる喜び。breakersのアレンジを単独コンサートで聞いた時に感じた多幸感の正体は、内的要因である自身のスランプを昇華できたことによる開放感とかある種の達成感みたいなのに近いかもしない(しっくりくる言葉が見つからない…)。

 

…話を元に戻そう。私は2つのどちらも、何かを乗り越えた時に生まれるポジの感情が放出されてるんだなという理解をしたのだけど、そこからのFANXYCHILDのコンサートでのこれなわけよ……どんどん穏やかなアレンジになっていくんだよ……

このアレンジのWTFを初めて聞いた(見た)時に、原曲で感じた”水の中から見る日差しのきらめき”を”みんな”で見ていて、ぷはぁ!って水面に上がった後で「なぁみた?!」「みたみた!めちゃくちゃきれいだったよな!!」「だよな!すごかったなあれ!」みたいな、なんていうんだろう、幸せを共有できる人が明らかにすぐ近くにいる感じがしたんだよ。ステージでは隣にCrushがいてさ、合いの手を入れたりするわけ。そんでWTFの最後のフレーズから2411につながっていくのだけど、そういうステージができているってことからも感じるんだよな、”幸せを共有できる人が明らかにすぐ近くにいる感じ”。そこから感じる穏やかさが、これまでの色々な出来事を経た今のPenomecoを象徴しているようでさ……*4元々彼にとっても大事だった曲が、今こんなに幸せなアレンジで披露されているんだよ、泣いちゃわない?こんなの。おれはもうだめだよ…。これがWTF3回目の確変。

 

Penomecoの人生、たびたびしんどい時期が訪れる。でも、音楽を再開させようとした時にはすぐ話せる距離にジコくんがいて、スランプに悩まされていた時にはAPROさんがトラックをプレゼントしてくれたりしてさ。なんというか、Penomecoには必要な時に必要な人がきちんと居てくれる引きの強さみたいなのがあるなって思った。いい距離でいつも見守ってくれている、彼の衛星みたいな人がちゃんと居るんだな、と思うと、なんだか安心する。

FANXYCHILDのコンサート二日目の最後のMCの時、緊張の糸が切れてしまったのか、気持ちが溢れて泣いてしまったPenomecoを見て「どうかこの人の先の人生が、音楽に囲まれた、健やかで幸せなものでありますように」とすごくすごく思ったんだよ。WTFっていう、あの時の多幸感がパッケージされた宝物のような曲を大事に抱えながら、新しい幸せをどんどん重ねていってほしいんだよな。それが音楽にかかわることでもそうでないことでも構わない、とにかく幸せに歳を重ねていってほしいんだよ。そしたらきっと、WTFを通して感じる多幸感がまたちょっとずつ姿を変えていく気がするからさ。私はその、重ねられていく幸せによって変わってくWTFを見ていきたい。

 

2019年10月7日、この記事を書いた今日がPenomecoの誕生日。おめでとうドンウク!今日も明日もその先も、あの時のような幸せな日が続きますように!

WTF (Went Too Far)
作詞:Penomeco 作曲:Made By Me, Penomeco 編曲:Made By Me

WTF (Went Too Far)

WTF (Went Too Far)

So baby I'ma went too
So baby I'ma went too
So baby I'ma went too

Baby I'ma went too far
No doubt I
Baby I'ma went too far
No doubt I knew
Baby I'ma went too far
I can't see
what I've been through
So baby I'ma went too far
No doubt I knew

眠る前 俺は思い出す
夢みたいだったベガスの夜景と
時間が来ると重くなる体
体を起こして踏み出した足と
床に転がったDom perignon
飲まなくてもその味は知れる
俺の両目に映った背景が
この曲にメロディーをくれた

Baby I'ma went too far
No doubt I
Baby I'ma went too far
No doubt I knew
Baby I'ma went too far
I can't see
what I've been through
So baby I'ma went too far
No doubt I knew

俺が感じた全てを伝えてやりたい
天国があるんだとしたら今すぐ行くには高すぎる
二十歳になってから
We won't stop
忘れんな あいつらは森の中の一本の木しか見ないこと
写真に残そう 完全に
Visual Gangster
63ビルまでヤシの木に見える
都心の中のpool villa
その上のジャグジーまで通うんだ
天気までVery Hot

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ya already know
パスポートが無くてもこの感覚は知れる
俺のポニーが出す排気音が夜を起こす
この都市は眠らない
今この夢を現実だと信じてもいい
思うが儘に動け 目を覚ましたら
日常に戻る
Over & Over
Over & Over
Over & Over

Man I gotta go now
Man I gotta go now
気を落とす必要はないだろ
こんなにいい日なんだから
Man I gotta go now
Damn I gotta go now
Man I gotta go now
きっとまた戻って来るさ
この時が過ぎても

Baby I'ma went too far
No doubt I
Baby I'ma went too far
No doubt I knew
Baby I'ma went too far
I can't see
what I've been through
So baby I'ma went too far
No doubt I knew

 

*1:Penomecoが所属してる、全6人のクルーだよ

*2:もちろん荒れている時もある

*3:これは想像です

*4:このコンサートのMCで不意に声帯結節を患っていた(いる?)ことが明かされ、もちろん心中穏やかではない日も多いだろうけども、だとしても。